【ご報告】講習会「シドニーの子育て現場から ~福祉と環境~」を開催いたしました

2018年9月14日(金)国立成育医療研究センター講堂にて、オーストラリア・シドニーで9歳の息子の子育てをしている、田中吾左人・静子ご夫妻を迎えて、講習会を開催いたしました。

 

田中吾左人さんは、シドニーでお仕事をしている日本人のご両親の関係で、シドニー生まれのシドニー育ちの日本人、シドニーで大学を卒業してから日本の大学に学んだジュエリーアーティストです。

 

日本でアート活動をしている時、同窓生の静子さんと結婚して長男完我君が生まれました。元気な男の子でしたが、しゃべり、運動機能などが遅いのではないかと心配して病院を訪ねても、「成長には差がある」と言われること度々、様子見をして1年、小頭症が診断され、小児麻痺も判明、この時から両親の生活は激変、障がい児の親になり、完我君のリハビリ中心の生活が始まりました。

 

完我君が3歳の時、吾左人さんは息子と2人でシドニーの実家に帰り、静子さんは東京での仕事を続けながら、シドニー通いでした。完我君は今9歳、静子さんも東京のお仕事を辞めてシドニーへ移住、シドニーで家族そろって毎日を過ごしてます。

 

ご夫妻が補助器具の注文・調整のため来日する機会に、シドニーで障がい児を育てる環境はどうなのか、どのような福祉サービスがあるのかといったお話しを伺う機会を設けたいという財団からの申し出に快く承諾してくださり、現場の映像を写しながら説明してくださいました。

 

まず、完我君が3歳まで東京で受けていたリハビリの様子が映像で紹介され、シドニーでの映像が続き、吾左人さんと静子さんが交互に説明、コメントをつけて下さいました。

 

そして、シドニーへ移ってからの違いは、「取りに行く」姿勢だと指摘、ことによると、これは日本人の奥ゆかしさに反するかもしれないと苦笑していましたが、シドニーでは何よりも障がい児1人1人に向き合ってくれることで、決まりが先に来ないこと、常に対等で、上からの目線を感じなかったのが、大きな違いだったとのことです。

 

静子さんはシドニーへ後から行ってまず感じたのは何よりも「社会にくるまれている」というか、回りが常に見守ってくれている気がするとのこと。

 

完我君の成長と、大腿骨の成長やその他のことも重なり、身体的成長のアンバランスが生まれ、手術をしたそうです。

今のところ歩行できるまでには至っていないそうですが、そうした入院経験は今回はのぞき、下記の通り、医療サービス以外の福祉サービスを中心にお話ししてくださいました。

 

・「完我君の場合、脳性麻痺団体に属して、サービスが受けられる。日本の身体障がい者手帳とか、愛の手帳と言ったものはないが、各種のカードを取得し、福祉サービスの無料サービスを受けたり、航空運賃の割引をうけることが出来る。

 

・障がい者用の水泳プールで、ボランティアの指導があるし、支援学校でもNPO.のボランティアからマンツーマンで指導され、歩けなかったのに泳げるようになったり、「子どものためにより良い生活」が出来るようなサービスが提供されている。

 

・障害により、それぞれ団体がある。そこを通じて、いろいろなイベントへ参加できる。シドニーオペラハウスを背景に繰り広げられる光の祭典の特別席に案内されたり、市長も参加する大晦日の花火大会への招待など、ボランティアの手厚いアテンドがあって安心して楽しめる。タロンガ動物園が始めた「病気や障がいのある子ども招待プログラム」は今世界の動物園に広がっている。

 

・費用はすべてと言えるほど、募金活動に支えられている。脳性麻痺団体の活動、土曜スポーツプロジェクト、レスパイト、ホリーデーキャンプなど、全て無料で参加する。募金活動も多様で、ユニークなものもあり、例えば、1日1万歩の募金は4人1組で歩きながら募金、1ヶ月で2億円相当を集めた例もある。

 

上記のようなサービスを受けながら感じることは、「社会に受け入れられていること」で、対等にあつかわれていることを感じられるそうです。

静子さんは、オーストラリアで暮らして感じることは「声を挙げること」が大切で、伝えることの大切さを日本の方に伝えたいとのことでした。

笑顔で輪を広げて行くことを実感していらっしゃるご様子、吾左人さんは日本の福祉車両、車椅子などは世界トップレベルで、優れていると評価、世界に誇ってほしいとも、コメントしていました。



講習会終了後は、下記の通り、参加者からの質問に丁寧に回答してくださいました。

Q:なぜオーストラリアに行ったのか?

A:父はもともとオーストラリア生まれのオーストラリア人、父方の祖父母はオーストラリアで暮らしている。

 

Q:今後日本に帰る予定は?

A:今後もオーストラリアで生活する予定だが、父と子はオーストラリア人で、母は移住権で暮らしている。もし父に何かあったときは母のみでは自信がない。(母)

 

Q:オーストラリアの中でもシドニーにした理由は?

A:父の実家がシドニーであることが第一の理由、シドニーの福祉サービスは充実しているが、ゴールドコーストやメルボルンも発達している。

最近、国としての医療保健制度も整備され、それは国内どこでも受けられる。

 

Q:小児麻痺団体のケアの話が聞けたが、他の病気の人のケアはどうなっているか?

A:それぞれの団体にアクセスすれば、コーディネートもその団体がしてくれる。

 

Q:サービスのコーディネートはどうしているか?

A:各団体がしてくれるほか、病院の定期健診の際に医師・PT(理学療法士)・OT(作業療法士)・ST(言語聴覚士)・SW(社会福祉士)などもつなげる役割を果たしてくれる。  日本にいた時は、一つ一つ掛け合っていた。オーストラリアはチーム感がある。

 

Q:学校はどのようになっているか?

A:基本的には日本と同じ。普通学校の特別支援学級か特別支援学校。

どうしても普通学級に行きたい場合は権利として拒否はできないので受け入れられる。

その場合は制度として加配職員が付く。学校が前向きなら、さらに学校の予算で職員を雇う。

特別支援学校と普通学級の交流は、週1回特別支援学校から普通学校に出向く形で交流する。

 

Q:いろいろなサービスは、どのようなルートで受けられるのか?

A:初めは、ありすぎてどこに行くか困った。脳性麻痺の団体に行ったら、すべてコーディネートしてくれ、どんどんネットワークができていった。サービスは日本と比較できないくらいあるが、どこかの団体に属さないとわからない。

 

英語が得意でない母は、日本人ママコミュニティーで情報共有している。

母から見ると、父は自ら取りに行っている印象である。(母)

欧米は取りに行ってなんぼという考え方。日本人は奥ゆかしい。日本ももう少しアグレッシブにいったほうがいい。(父)

 

Q:医療はどうか?

A:手術をしたメルボルンの子ども病院は素晴らしかった。医師等だけでなく、メンタルの話を聞いてくれる人、クリニクラウン(臨床道化師)、ミュージックセラピー等至れり尽くせり。

医師とPT・OT等の専門職が対等で、PT・OTに直接依頼することもできる。患者も対等の立場で話せる。

オーストラリアは高い医療に人権がプラスされ、手厚くサポートされている。(きょうだいケアや親のレスパイト)

日本の良いところはテクノロジーが進んでいること。(車いす等)

 

【協賛】株式会社ロッテ様にご協賛いただき、お土産にお菓子を配布させていただきました。